心ないしうち

わたしのような、東京下町の商家の生まれの者は、しわくちゃなお札を商人からおつりとして渡されると、商人として、それは心ない仕打ちだと、まず思うのである。しかし、そういうわたしにふっとマユを曇らせるような、心ない仕打ちに残念ながらよく行きあうのである。
出版社から本を送ってくる。中身は知人の新著で、知人の署名人りの、寄贈本である。
知人は署名して、発送を出版社に依頼したらしい。本はいたまないようにボール紙で包んであって、さいわいにどこもいたまないで、わたしの手に届く。ところが出版社が包装用に使った包みのボール紙は、その出版社が前に出版した本の外装の箱である、ということがよくある。
出版社としては、まったくの廃物利用で、あまっているか、こわれたかした外箱を使つた、というまでのことだろうが、第一にその外箱に、たんなる「もの」として使われた、その本の著者が、知らぬが仏ながら気の毒である。そして、その出版社が書物という自社製品を、たんなる「もの」として扱っている味気なきをまざまざと感じさせられる。署名本の送り主には関係のないことなのだが、それでも心ない仕打ちの一端の責任が、ふりかかって行きそうな気がする。そして、ゾッとするのは、自分の本も、かつてそうし
て人に送られ、あるいは自分の本の外装がかつてそうして包装用として使われたかもしれない、ということだ。
外装山の箱を、廃物になったたんなる「もの」としてみることができるかどうかというところに、戦前派と戦後派との違いがあるのだろうか。あるいはそれはそうした年齢の差途ではなく、商家の出という、わたしの育ちにあるのだろうか。
先日、京都ヘ行ったら、京都のタクシー会社が待遇問題で闘争中で、ボディーに、はげしい文句を筆太に書いた自動車が、町の小を走っているのである。わたしなどはそういう光景をみると、目をつぷりたくなるような気がするのである。労使のどちらに味方するというのではなく、その会社の運転手たちが、自分の運転する車を「私物視」している気持ち、自分が客をのせる自分の車にどぎつい文句をベタベタと書くというのは、そのくるまこ対して、愛情のかけらもないのではないかと感じさせられるところが、まことに暗い、ゆううつな思いを誘うのだ。

演劇や映闘の宣伝ポスターが、ももろん余ったからだろうが、裏紙として利用されているのも、やれやれと思う。ひどい場合は、芝居を見終わって劇場を出て、そとに待っている駅行きのパスに乗ろうとすると、そのパスに、よくわかるように行く先が書いてはってある。その紙が、いま見て出てきた芝居の宣伝ポスターなのである。特別参加の俳俊の名が、途中で裁ち切られて、裏紙として使われているなどは、心ないといって、これほど心ない仕打ちはない。〈三七・二一・二四〉

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