東京の感傷

大学生になって、初めて一二聞の慶応義熱に通うようになったころ、大学の正門をはいったところにある常生用の掲示板に、新入生歓迎の「県人会」主催の会合の予告が出ているのを見て、大学生になったという実感を持ったものだったが、同時に、東京の下町育ちの私には、そういった郷党の集まり、といったものがないことを思い知らされて、妙にきびしい感じがしたことも事実だった。県人会という集まりだけは、東京出身者はまったく知らないわけである。
私の育った銀座は、私がまだ小学生だったときに、関東の大震災に焼け滅び、それから戦災でやられ、さらに、戦後の急速な変化によって、町の性質がすっかり変わってしまい、住民がひどく減ってしまったので、銀康を背景にした私の出身小学校は、年ごとに児輩が減っていくようである。そうして、いわば私たちにとって郷党というべき、小学校の同窓生たちも、ほとんど銀座には住んでいないというようなことになってしまった。それでも同級生の中に世話好きの人がいて、いっしょに卒業した百、五六十名の者の、三分の一ぐらいは消息が知れている。これは、割合からいって多いのだろうか、少ないのだろうか。
百五、六十名のうち、半数は女性だったが、やはり個人的な運命の転変というものは、男の友だちのうえによりも、女の友だちのうえの方に激しいようだ。
先日、広島市ヘ講演に行ったとき、講演会の広告を見て知ったといって、突然一人の女性がたずれて米た。会ってみると、同窓の一人であった。小学校を出、女学校を出てから、応募して満州国新京のホテルに勤務したが、行った先があまり話が違うので、逃げるようにして日本に帰って来て、そのまま、広島市の人に縁づいたという。そういわれて、満州へたつときに、東京駅までみんなで送って行ったことを思い出した。原爆にはあわなかったのかどうかと聞いてみたら、運よくあの日は市外にいて、一家が無事だったという。そうして、むしろ奇跡的な命拾いをしたのに、最近にいたって、夫君と別れた、ということだった。理由は深く問いただすことでもなかったので、どんないきさつか知らないが、よほどのことがあってのことなのだろうと想像した。東京のまんなかの小学校の卒業生の中にも、当時、思いも及ばなかったような、遠い海山をへだてたところで、こうした人生を経験している人もいるわけで、あわただしい講演旅行の途次に、ある感傷にひたったことであった。

年末に年賀状を書くために、住所録の整理はをするたびに、その一年に、なくなってしまった友人が、このごろでは必ずしも少なくはないのだが、こうしてまた思いがけなく消息が知れて、交友圏にはいってくる人もなきにしもあらずである。おたがいに、生きていることを、喜び合いたいものである。(三六・一二)

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