一見紳士風

東京の千代田区、銀行や一流会社の真ン中にある、道路に面した喫茶店にはいって、人を待ちながらぼんやり通りをながめていた。そこは片側が有料の駐車場になっていて、窓ぎわにいる私の鼻っ先に、りっぱな自動車がズラリと並んでいた。私のすわった位置から、自動車は三台だけ見えた。
私がすわると同時にはいって来てとまった自動車からは、一見、重役風の堂々とした紳士がおりて来た。うやうやしくドアをあけた運転手に、彼は不きげんそうに、車のタイヤを指さして、何やら言って立去った。ていねいにお辞儀をして紳士を見送った運転手は、やがてうしろから、水色のバケツを出し、水をくんで来て、タイヤを洗い始めた。十四、五分もかかったろうか、タイヤがきれいに洗われ終わったころ、さっきの紳士が現われて満足気にうなずくと、乗りこんで.陪席が一人でいっぱいになるようにふかぶかと腰かけた。そしてこの自動車はスタートした。そして、有料駐車場の駐車料金十円は、未払いのままであった。一見電役風のこの紳士は、多分自分の自動車と思われる車のタイヤの洗浄にはやかましく注意したが、十円をねこばばすることには、いつこう注意を払わなかった。
ところが驚いたことに、私が人を待ってすわっていた四十分間、もちろん、五時前から五時半ごろまでだったから、まだ料金の徴収時間内である。それなのに、この間にパークしては去って行った、合わせて七台の自動車は、一台をのぞいて全部、料金を払わずじまいであった。
ある自動車などは、家族づれであった。会社か銀行の、これも決して下級中級とは思われない、紳士風の男が、多分そのひけ時に、その女房と二人の子供とおち合って、その自動車でどこかヘ行くらしい様子だった。秘書とおぼしい若い女性が、荷物を車内に入れ、ていねいに見送るうちに走り出して行った。子供づれで、おとうさんおかあさんが、十円の料金を失敬するのだから、これはもう家庭教育も何もあったものではない。
もう一台の、一見大学教授風の老紳士を乗せて走り去った自動車は私が見始める前から止まっていたが、老紳士の現われる直前に、あの機械の中に十円玉を入れた。これなどは、その半分ねこばば行為については、老紳士はご存じなく、主人からあずかったパーク料のピンハネ――ということになるのだろうかを、運転手がしている、というわけなのだろうか。それとも一見大学教授風の紳士の指示であろうか。
なんでも、二十分に一度は、見回りの人が回って来るそうだ。そしてなれた運転手になると、その人かげを見ると、すぐエンジンをかけ、あたかもたった今、時間切れになったという風をよそおうそうである。こうなると、まったくの常習犯ということになる。
今の世の中のわるさについては、根本議論をすると、政治の貧困ということに結びつくかもしれない。しかし、駐車料金の未払いなどは、例人の倫理観の問題だ。自家用車を持っている連中が、一時間四十円、十五分間十円の料金を、見つからなければごまかそうとするのは、政治の貧困の解決をまたねばならぬほどの問題ではない。経団連とか商工会議所とか、そういうところに所属する一見紳士風ではない、紳士そのものである人たちが、そういうことを呼びかけてみたらどうだろう。
七台の自動車の中の一台は、乱暴な運転で、グッと乗入れて来た車で、おりて来たのは一見グレン隊風の、アロハシャツの青年ご人であった。当然これも払うまいと思っていたら、彼らは、なれた手つきで、金を入れると、肩を並べて立去った。ちゃんと料金を払つたたった一台の自動車の乗り手が、一見紳士風ではない人物だったことに、私は興味を覚えた。そして、様子でこれも払いっこあるまいと思ったことを、私はひそかにはじたのである。(三四・九)

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