おとおしもの

うなぎ屋だとか、てんぷら屋だとかは、本来いわば無愛想なもので、うなぎ屋は、まだしもきもの吸いものだとか、きも焼きだとか、うなぎにしてもしら焼きなどがあるが、てんぷら思となると、まったくてんぷらそれだけで、わたしの生家の銀座天金などでは、大正の震災前までは、さしみやぬたはおろかのこと、吸いものさえもなかった。震災後は商売も変わって来て、さしみやぬたや、おろしあえや吸いものなども、用意するようにはなったが、それでもどこまでも、てんぷら展はてんぷら専門、うなぎ屋はうなぎ専門であった。
長い問、お酒のさかなには、これといって何もなく、うちではただ、かくやのこまかいおこうこうと、季節で、いかの温からを出す.くらいのものだった。
名物だったこまかいおこうこうは、大根おろしに使う大根の、切りすてた棄の部分と、むいた皮の郎分とを、毎晩予すぎになると、店の女中たちが交替で、大きなほうちょうできり立ざんだ。それを袋につめて、ぬかにつけるのだが、そのつけたかめが、順にズラリと並んでいた。
塩からも名物で、いかは、八戸のものに限ると言われていた。年によって、多少の出来不出来はあったようだが、塩からの仕込みにかかるころは、寒い冬をひかえた時分で、わたしんちの季節感を刺戟したものだった。
かくやのおこうこうと、いかの温からとは、おとおしものとして出すだけで、サービスであったから、決して売らなかった。中にはどうしても土産に欲しいと、女中にチップをにぎらせようとする客もあったが、「手前どもの、愛想づかしでございますから」という口状で、絶対に売らなかった。

あいそづかしということばは、そういう時に使った。客に対して、いかにもこちらとして、愛想づかしの、無情な仕打ちというわけである。これがいつの間にか、関西流の用語となって、勘定を請求することが、客に対して愛想づかしであり、さらに逆に客の方から、勘定のことを、「おい、おあいそしてくれ」などというようになった。

その愛想づかしだった地からも、歌舞伎座の座付きの「たて師」――立ち廻りの振付けをする人――だった、「ますろく」さんという人が、うちの家族とごく親しくなって、とうとう、土産に持って帰ったのがきっかけとなり、六代目菊五郎や先代の彦三郎のところへなども届けるようになった。それでも、店で値をつけて売るようなことはなかった。
そんな時分、やはり名物のおとおしものとして作ったものに、「柳の花」というものがあった。とうふのおからを、すりばちですりつぶして、卵をたくさん人れ、塩と砂糖と酢とで味をつけ、これをいってしまう。サラサラにいりあげて、卵の色で黄色になっている
ところへ、こはだをきざんで、グリンピースとゆでた芝えびとを散らし、しょうがをそえて、これは折りにいれて出した。一折り、二十歳ぐらいだったろうか。
とうふのおからと言えば、兎か豚のえさで、ごく安いものだが、それに入れる卵がたくさん人用だった。その卵は、銀座の表通りにあった、わたしの母の実家である、大黒屋という、卵とかつおぶしとのりとの専門の店から来た。ちょっとしたきずがあったり、ひびがはいっていたりして、一個売りのできない卵をたくさん、安く仕入れたわけだ。卵が安く手にはいらなくては、これはだめであった。
ふつうおからの料用は卯の花というのだが、うっすらと美しい黄色であったところから、わたしの母が、柳の花と名付けた。
こはだは、父が毎日魚河岸ヘ買い出しに行っては、ひいきにして寄っていたすし屋から、みっしりと酢につけたものを、届けさしていた。そして大きなつかみばさみで、母が、ジョキリ、ジョキリとそれを切った。小学生のころ、手工の時間に、わたしは母のその大き
なつかみばさみを学校に持って行って、紙を切っていて、受け持ちの先生に、池田、そんなはさみで何を切るんだいと、言われた。わたしの手にはつかみきれないほどの大型のはさみだったから、先生はあきれたのだろうと思う。

かくやのおこうこうにしても、塩からにしても、柳の花にしても、みんなひどく手のこんだものだった。だから、サービスのおとおしものにしても、折りに入れた土産ものにしても、みな、その店、その店の名物となったわけだった。こんなものがまるっきりなくなってしまったのが、今の、インスタント時代のたべものらしい。八十パーセントの味はあるが、もう一歩という何かがたりない。それは結局は、ぜいたくな「入手」の問題なのかも知れぬ。
ただで出すおとおし物の仕込みに、それだけの手間ひまをかけられた時代と、今とでは途うかも知れぬ。しかし、ほんとうの「文化」というものは、本来そうしたぜしたくなものなのではないかと思う。
この節では、ぜしたくがほんとうにムダな金づかいということになってしまって、季節はずれの吟しさや、迷所のものを飛行機で運ばせた材料だというだけの珍しさをきそう、ぜいたくがはやっている。ありがたがって、効能脅きを牝べているような、ばかばかしさがある。
つい何でもなく出される、小皿のおとおし物に、実は手がかかっている。そんなものが、このごろではますますなくなっていくようだ。

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