ホテル・宿屋・旅館

ホテルと言い、宿屋と言い、また旅館と言う。さすがに、はたご屋はなくなったが、この三通りの言い方は、今日通用しており、しかも、三者それぞれ違いがある。必ずしも、ホテルは旅館よりもよく、旅館は宿屋よりもよく、宿屋はホテルよりもいい、というわけ
でもない。しかし、泊り先がホテルなのと旅館なのとでは、出発的の準備には多少の違いがある。

ホテルは、ますだいたいタオルを給与してくれる。しかし、朝の洗面に必要な歯みがき、ようじはまず与えてはくれない。旅館の洗面所や、部屋に附属した洗面所や鋭台には、たいていポマードやくしまでがそなえてあるが、ホテルにはそれがない。安全がみそりも、旅館の貸してくれる品で、ホテルの方はいらなくなった刃の捨てどころだけがきまっている。
温泉場などでは、一時、貸手拭いの儀はお断り、と書いであったものだが、貸し手拭いは
当局がやかましい、とあって、このごろでは、新品をサービスして、ビニールの袋ごと
持ち帰れるようにしているところがふえた。誰が使ったか知れないくしを使うのは、まことにきびがわるいが、部原にそなえつけのくしが、一々、消毒ずみという紙袋にはいっている、というまでの旅館には、まだ行き合わせたことはない。

そこへ行くとホテルでは、水飲みのコップからスリッパまで、消毒ずみの紙に包んであって、この点は進んでいる。
日本式の旅館で、共通した欠点は新聞の扱い方だ。新聞ぐらい、前に他人のみたものに不潔感を党えるものはない。それが日本式に限つては、二度三度のおっとめをさせるところが多く、少し寝坊して「新聞」と注文すると、よその部屋から持って来るところが多い。これがたいていは、いかにも読みさしと言ったたたみ方で、時には、先客のこほしたらしいみそしるのしみがついていたりする。これには全くまいるのである。
そのうえ、夕方早目について、朝刊を見せてくれというと、まずたいていはない。ことに田舎を回って、二三日目にちょっとした町について、二三日分の新聞をまとめて読もう
などとしたら、ほとんど絶望である。
そこへゆくとホテルは、自分専用の新聞を朝手にとることができる。もちろん、料金は加算されているのだが、それでもどのくらい気持ちがいいか知れない。
地方を旅行して歩いている時には、記事のおくれている中央紙よりも、地方紙の方がありがたいのだから、どんな小都会の旅館でも、地方新聞と特約すれば、なんとか泊り客に一郎づつ、新鮮な新聞をくばれそうなものだと思う。
旅館と宿屋とどう違うか、これはただ感じだけの問題だが、旅館と名のる大きい経営でこの節では、とかく宴会が行なわれることが多い。そうしたかせぎをしなくては、維持してしけないのだろうが、旅館の宴会くらい、ほかの泊り客に迷感なものはない。ホテルも、やはり御多分にもれず、パーティや結婚披露が多いけれど、この方は、ほかの泊り客に対しては、あまり影響がない。
一夜の宿ということになると、汽車の寝台があるが、この方はだいぶ劣るようである。二等の最低で六百円だが、この六百円は、ただねる場所を提供してくれるだけである。一等の最低が、C室の上段だが、これが千三百円で、ねまきだけ貸してくれる。特急のA室
の個室だと三千三百六十円だが、もちろん食事がつくわけではない。三千円以上となると、ちょっとした旅館なみであろう。
寝台に泊って、翌朝目的地に近つくと、列車のボーイさんが、一人々々ドアのそとにつれ出して、ブラシをかけてくれて、靴をふいてくれる。その気があるならこの時にチップをという機会を与えてくれるわけだ。しかし寝台をこわして客席になおす労働はなかなか烈しいので、少し年輩のボーイさんだと、何かの形で、慰労したくなる気がする。労働量の点から言えば、一番高くてもしかたなきそうだ。
しかし、あちこちに、行きつけのなじみの宿屋ができるのは、よしあしだ。気楽すぎて、こん夜の泊りにかけるほのかな不安も期待もない。というのは、旅行の楽しさをある意味ではそいでしまうのだ。
何の紹介もなしにブラリと行って、泊めてもらえますか、と玄関口にたった学生時代の旅行の、なるようになる、と言った一種のかけは、旅行をいっそう旅行らしくした。私のこのごろのように、行くから帰るまで、きちんときまっているスケジュールでは、旅行とは言えない。もう一度、一介の旅行者になって、気楽に、ホテル、旅館、宿屋と、泊り歩いてみたいものである。(三七・一)

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