「はっかり」不乗記

国鉄にまつわる一つの美談である。と言っても修身の教材にはならない、わが家のほんのささいな、ないしょごとにすぎないが。
私は去年の十二月十日の「はっかり」の試乗に誘いをうけた。本来なら何はおいても出かけるところだ。しかしこの誘いには、当時、全然応じられる状態ではなかった。
十川初めから、私の勤め先の労働組合はベlス・アップの闘争にはいっていて、交沙は難航を続けていた。紋営者側の椅子にすわって院後の終験で、見とおしも何も立たなかった。そんな最中だったから、私はもうてんからあきらめていて、思い切るもなにもなく、当然の運命のように、この絶好の機会をことわってしまった。
ところが交渉というものはふしぎなもので、予期しない展開があって、十三月八日の夜からの団交が、九日の朝になって、とうとう、話し合いの成立という処までこぎつけた。
その日私は久しぶりに、親しい友人と飲み歩き、おそくなってわが家に帰った。電話で家内に一言知らせてはあったが、玄関口で、ともかく一段落した、と言うと、家内は、おめでとうとも、御苦労様とも言わず、言下に、
――おしかったわね、明日のばっかり。
と言った。
実は私は去年の九月一日に、前夜福井から「能登」に乗って、朝の東京駅に降り立って以来、一度も汽車――といっていいかどうか――に乗っていなかった。こんなことは、私の生活では絶えてないことだった。わがままな書生ぐらしをいいことに、やれ講演だ、やれ芸能の採集だと、月に一度や二度の旅行は欠かしたことがなかった私だった。それが勤め先の椅子に釘づけで、一泊二泊の旅行さえ、思うにまかせぬ生活になってしまったのだ。私はときどき、のん気に旅行したいなあとつぶやいた。そんなぐちを、家内はさすがに同情をもって聞いていたらしい。それが、七十日にわたる組合との交渉の一段落したその日に、帰って来た夫に、今日妥結ときまっていれば、明日の「ばっかり」をことわらなくてもよかったのだという気持を、まっさきに言いかけるに至らしめたらしい。
――そうだつたなあ、おしいことをした。
私もそう言った。それだけで、別に家内との問に、ねぎらいのことばを聞いたり、話し合ったりもしないで、中年夫婦の会話はすんでしまった。
なぜ汽車にのることが好きなのか、自分で考えてみたことはなかったが、家内はよほど私よりも私の汽車好きを知っているらしい。そして私も家内がこう言ったことから、あらためて私の汽車好きに気がついた。――中年夫婦の色気ぬきののろけ話で恐縮である。(三六・三)

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