大陸の水

今年、関東は異常な潟水に見舞われた。
夏の前は貯水池の水が文字どおり底をついて東京は断水に苦しめられ、夏のあとは、とりわけ九月は照りっぱなしで雨が降らなかった。こんな年は珍しいが、しかしたまにこういうことでもないと、われわれは水のありがたみを忘れがちだ。
わたしの戦争経験は、前後五年にわたって水で苦労したことが、いちばん印象に残っている。大陸の水は悪かったし、島の水は少なかった。
満州ではもちろん水道はあった。しかしそれは松花江の水をただ引いているだけだから、けっしてなま水は飲んではいけないといい渡された。事実、コップに水をとると、やがて底に砂が沈んだ。満州生活になれた古兵たちは、朝のミソ汁でも、食機の底のほうに必ず残すような心くばりをしていた。
それでも兵営の中にいるときは、水が出るだけでもよかった。一歩そとに出ると水の苦労は倍加した。

わたしは馬部隊だったから、軍隊生活といってもほとんど馬の世話で日を暮らした。馬は水の飲み方が少ないとせんつうといって.馬の腹痛をおこして死んでしまう。だから日に四回、定期的に水を飲ませ、しかも馬が水を飲むときは、のどに手をあててゴクリゴクリと飲みこむ回数をかぞえ、それを記録して報告しなければならなかった。
それほどの水だったから、営外に馬をつれて出たときには、じゅうぶんに馬に飲ませる水を確保しなければならなかった。それがなかなかえられなかった。
満州の部落には、部落の中にほとんど一カ所ぐらいしか井戸がない。「井」という字は、四方から道路が集まってきてその中心に井戸があることを示したものだという。そしてその説明どおり、満人の部落には部落の真中にたった一か所だけ井戸があるというかたちのものが多かった。しかもその井戸は底が見えないほど深く、長い長い縄の先につけた楊柳でつくったざるをおろして、それで水を汲み上げる。そのざるは部落の家々で持って行つてしまっていて、水を汲むのには、まずそのざるを借りてこなければならなかった。練習の小休止、大休止といっても、兵隊はただ馬の水汲みに走り回るだけであった。
われわれの部隊が南方に移動したとき、ひと晩、輸送船が門司の港外に泊まった。われわれは久しぶりに上陸して内地の土をふんだのだが、そのときうれしかったのは水道の蛇口に口をつけて、思うぞんぶんに水を飲んだよとであった。なま水をなんの心配もなしにガブガブと飲める。それだけでも、四年も満州での兵隊ぐらしをした者にとっては、内地はすばらしかった。
われわれの部隊はそれから南下して、ついに宮古島に落ち着いたのだが、そこでも水がひどかったので、門司の水道の水は、いつまでも語りぐさになったくらいであった。(三七・一一・一八)

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