軍隊語

赤紙の召集令状をもらって星一つの新兵で入隊したら、馬部隊であった。古兵たちがキンポウというので考えてみたら、近衛の砲兵隊で近砲というわけだった。しかしわれわれはその兵営を借りただけで、間もなく満州に送られて山砲連隊を編成した。召集兵ばっかりの中隊で、任務も段列といって戦砲隊ヘ砲弾を届ける役の隊であった。砲弾は馬に積んで運ぶのだから、段列の兵隊の役目は馬を被うことだけだった。戦争でも始まれば別だが、ふだんは泌習らしい淡習もない。ただ馬をひっぱって歩くだけが演習であった。
そういう隊だったから、馬にかんする専門用語が日常のことばにしきりに流用された。それがいわば馬郎隊の方言であって、そういう語になれるまでが、ひと苦労であったといえる。
あるとき古参の上等兵が点呼のあとで新兵を集め、あすは中隊長の舎内巡視である。そ
のさい、うちの班からハンワを食うのがいたらチョウキョウする、といい渡した。
チョウキョウは「調教」である。馬を目的にそうように馴らして、いうことを聞くようにさせるのだが、それが流用されて古兵の口にのぼるときは、古兵の新兵にたいする私的鍛紋ということになる。つまりリンチを加えるということであり、もっと端的には「ただはおかない、ぶんなぐるぞ」ということだ。リンチは日木軍隊のガンだといわれたが「調教」といえばいかにも大義名分があることになり、私的なことを正当化する気分になることができた。「ヤキを入れる」などというとどうも「地方」的だが「調教」といえば暴行をふるっても自己満足を覚えたらしい。 ――地方というのはかなり広く使われた軍隊用語
で、軍隊にたいしてそれ以外が地方であった。

チョウキョウのほうはわかったが「ハンワを食う」というのがわからない。ハンワといったのか、ハマといったのかさえあやふやで、ハマならヘマのことかな、というような説も出た。わたしの中隊には大学出はわたしひとりだったが、仲間の新兵は大学出のお前にわからなければおれたちにわかるわけがない、といった。それでわたしが代表になって下士官室ヘ聞きに行った。当の上等兵に聞き返したりしたら、いいことはないにきまっている。そういうときは、かえってえらい人に聞くほうがいいのである。

軍曹の分隊長は、すぐ教えてくれた。一列縦隊の馬の列がもときた方向ヘ引き返すときには、「半輸に進め」という。だから「ハンワを食う」というのは相手が受け取らないで、つっ返されることだ。
つまり兵器や被服の手入れが悪くてやりなおしを命ぜられることを、命ぜられた側からいえば「ハンワを食う」ということになるわけだ。これは解説してもらわなければ、わかりっこない語である。 (三七・一一・二五)

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