マラリヤ

百日余りにわたった山古島の森雨のもととなった、ピンフの森の火事は、マラリヤ予防のために、宿営地の付近の政のようなくさむらを刈りとって焼き払った火の延焼だが、そもそもその予防法は、考えてみればずいぶん原始的で素朴な方法だ。なんでもマラリヤ蚊は、とぶ力が弱く、天幕から三十メートルくらいのところまで清掃しておけばだいじようぶだということであった。
宮古島は水が少なく、かつあまりよくないので、そのためにマラリヤ蚊はいないといわれていた。同じ沖縄の先鳥諸島でも八市山のほうは水がよく、その変わりにマラリヤは猛烈であった。八重山ではマラリヤのために一村ことごとくやられて、村そのものが廃域になってしまったところがあるとのことだった。宿営地のそばのうちの少年が、八重山の学校に行っていたが、マラリヤにひどくやられ、宮古島ヘ帰ってきていた。まるで廃人のような暮らしをしていた。
しかしマラリヤについて、われわれは何も組織的な話を聞かされたわけではなく、またさいわいにマラリヤで倒れた者はまだなかった。わたしたちの中隊では風土病的な「でんぐ熱」にはほとんどかかった。わたしもやられたが、このほうは一週間ぐらいで熱がさがり、あとはなんでもなかった。
そこへ急な命令で、いっさいの作業を一時停止し、各隊は全力をあげて宿営地一帯の草を刈りとって清掃し、マラリヤ予防策を講ぜよということになった。
どうして急にそういうことになったのか、なにもわからなかったが、われわれの宿営地というのが、ジャングル、というのも大げさだが、阿旦(あだに)の群生する草むらをいい遮蔽物にして、思い思いに天幕を張って点在していたのだから、それを刈りとってしまつては、天幕が、空からくる攻撃にたいして露出してしまうことになる。だから、いまになって草を刈りとれというのは、けっきょく宿営地をどこかへ移さなくてはならなくなる。少なくとも、模様替えをしなくてはならないわけで、その点、刈ったあとの始末が大ごとなのである。つまり付近の清掃ということは、これはそれだけではすまないのである。日本軍の上から出る命令は、末端にそれがどう波及するかを考えていない、無責任なものが多かった。
少なくともマラリヤ予防など、もっと早手回しに考えておくべきだったのだ。
だいぶあとになって、わたしは部落の人からアメリカのたばこを貰った。どういう筋からか知らないが、射落された米機の残骸の中から見付けたのだといっていた。しかし、おどろいたのはそのたばこの外装の文句であった。
Our Enemy in OKINAWA is malaria
「沖縄の敵はマラリヤだ」
とでも訳すべき文句が、ちゃんと印刷してあったのである。 (三七・一二・九〉

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