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カテゴリー:Ⅰ
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東京の感傷
大学生になって、初めて一二聞の慶応義熱に通うようになったころ、大学の正門をはいったところにある常生用の掲示板に、新入生歓迎の「県人会」主催の会合の予告が出ているのを見て、大学生になったという実感を持ったものだったが、同時… -
あの頃の銀座
私は銀座生まれの銀座育ちだから、大正中期から記憶がはじまって、昭和十六年、応召するまでの銀座を知っていることになる。しかし、鹿を追う猟師が山を見ないように、案外、銀座のことを、客観的には知らないようである。 昭和十年と… -
とら歳雑感
とら歳といっても、わたしのとらは大正一二年の五黄のとらだから、非常にじひの心に富んでいるとらだそうである。どうもそのせいか、わたしは相手の立場に立ってものを考えすぎるので、交渉ごとには向かないようだ。しかし、たとえ川仰を… -
うそをついた話
坪内逍遙博士の児童劇の公演を見に行った。博士の『逍遙選集』の付録でみると、大正十一年十一月二十五日土眼目のことである。 その日は朝からうれしくて、わたしはうきうきしていた。そして学校に行って同級生の女の子をつかまえ… -
まつたけ
この二、三年、ついぞことしはまつたけがいいという秋を迎えたことがない。ことしもやはりまつたけはだめであった。 かおりまつたけ、味しめじ という。たしかに味そのものからいったら、まつたけよりも、しめじに軍配をあげる人が… -
心ないしうち
わたしのような、東京下町の商家の生まれの者は、しわくちゃなお札を商人からおつりとして渡されると、商人として、それは心ない仕打ちだと、まず思うのである。しかし、そういうわたしにふっとマユを曇らせるような、心ない仕打ちに残念… -
私は東京ッ子
わたしは江戸ッ子ではない。きっすいの江戸ッ子で、などと紹介されるとゾッとする。しかし東京人でもない。東京の下町生まれの、下町育ちの東京ッ子である。東京に住んでいるというだけの’無責任な都民は、机令を払っていても、東京人で…